コロナ体験記

 新型コロナウィルス陽性で人生初の入院を経験しました。感染したこともさることながら、まさか入院になるとは思ってもみなかったです。貴重な経験だったのでブログに書いておこうと思います。

 

12月8日(木)

 喉に風邪の前触れのような違和感。職場でも喉の痛みと具合の悪さを訴え早退する人が私の知る範囲で2人いました。これはヤバいかもしれないと早めに寝ることにしました。深夜になり寒気で目を覚ます。電気毛布の温度を上げた。

 

12月9日(金)

 喉の痛みと発熱時特有のダルさ。体感37.5℃くらいかな、と測ってみたところ39.6℃。普通の風邪なわけがない。アウトでしょこんなの。

 喉はバッチリ腫れて声はガサガサ。上司に連絡し休むことに。LINEでオッケーなの非常に助かる。手元の簡易検査キットを使ってみると薄く反応が出ました(Cが基準となるコントロール線でTの線の濃さで判定)。これを陽性と見なして良いのか分からないので写真と撮って上司に送り、発熱外来に行くよう指示を受ける。上司もよくわからないっぽいです。

 かかりつけと呼べるほどの病院が無いので、新患でも受け付けてくれる発熱外来のあるところを探している間にははくべが予約を取り付けてくれました。ありがたし。病院からは15時に来るよう指示を受けたのでそれまでオンザベッド。職場ではどうも昨日早退した2人も休んだ上に体調が悪そうな人がチラホラ出てきたようでバタついているらしい、という話をちょもさんから教えてもらう。

 10時頃総務から連絡があり、過去一週間の行動履歴と感染経路の心当たりを聞かれる。この頃はまだ声は出たのでガラガラの声で回答する。

 指定された時間に病院へ。到着時に電話を入れ、駐車場で待機。ほどなくして完全防備の看護師さんが現れ、保険証をビニール袋に入れるよう指示を受ける。直接触らないようにするためかあと感心しました。どんな検査するんだろうと思っていたら遅れてきた先生が持っていたのは家で使用したのと似た簡易検査キット。綿棒を鼻の奥まで入れてグリグリされた。痛かった。15分後連絡が来てどんな風に線が出たのかは見せて貰えなかったものの陰性という診断結果が下されました。薬が処方され(院内処方の病院じゃなかったらここで処方箋貰って薬局行くのかな?)て帰宅。上司には陰性だったという報告を送る。

 処方された薬の中に解熱剤があったので飲んで37℃台まで下がる。症状は熱と喉の痛みだけで食欲は普段と変わらず。薬飲んだし、明日には良くなっているといいなあ。

 

12月10日(土)

 おはようございます。39.8℃でした。喉の腫れは悪化し声がカッスカス。簡易検査キットを再び使用。

 疑いようが無いアウト。コントロールよりくっきり出ることあるんだ……。声が出ないし熱でしんどいしなので電話連絡は全て両親に託しました。一人暮らしだと詰まない?バンザイ実家暮らし。もう一度病院を受診して陽性判定貰う必要があるのかと思いきや電話のやりとりだけで陽性認定になりました。保健所へは病院から連絡してくれるとのこと。

 部屋でもマスク二重で過ごすとか、触ったとこ全て消毒してとか、こんなヘロヘロ状態で結構無理ゲー。やれる限りはやったけど取りこぼししかない。

 一方で両親の間で家族会議が行われ、同居家族に要介護の祖父が居ること、父自身が基礎疾患持ちであることからホテル療養を希望することになったらしい。自身での消毒のガバ具合からそっちの方が私としても嬉しいので異論無し。すでにしかるべき機関との連絡をとっているようで、本人への聞き取りのために私にも電話がかかってきた。この時点で声はほぼ出ていなくて、よほど静かな場所じゃないと聞き取れないのでは?なくらいになっていた。ここまでカッスカスな例はあまり無いようで、電話をかけてきた県のなんとかセンターの担当看護師さんに「相当辛そうなので、最低限の質問だけさせていただきます」と言われました。「具合が悪いのはいつから?」とか「症状について」とか「思い当たる感染経路は?」とか、聞かれるがままに答えた。この回答を元にホテル療養の可否判断を行うそうで、決定ではないと何度も念押しされた。

 その後追加の確認事項があるとかで2回くらい電話がかかってくる。興味深かったのは「ホテル療養するに当たって何か特別の宗教的配慮が必要かどうか」。なるほど、そういうのもあるらしい。

 ホテル療養は一度入ると療養解除まで外出ができないこと、差し入れ不可、食事は指定された場所に置かれたお弁当(コンビニ弁当みたいな)を自身で取りに行くことになっているようで、私の場合喉の腫れが酷く食事に難がある(固形物がしんどい)ことが懸念事項になっているらしかった。「その点はどうお考えですか?」と聞かれたので「持ち込み可能ならゼリー等食べやすいものを持ち込むつもりです」と答えた。

 この時点でもホテル療養の可否は伝えられず(もし可になった場合の必要なもの※後述は告げられた)、次の電話で「一度ホテルに入ると出られませんが、その前に病院で点滴を受けることはできます。希望しますか?」と聞かれ、(これは通ったのか?)と思いながら点滴を打って貰えるならありがたいことこの上ないので「お願いします」と答えた。

 その10分後に保健所から電話があり「入院が決まりましたので○○病院へ20分後に来てください」とのこと。ホテル療養のはずでは?その前に点滴を打って貰うだけでは?と思いつつ尋ねると「医師に軽快したらホテルに移りたい旨をお伝えください」と返ってきた。で、今度は入院に必要なものを告げられる。指定された病院が家から車で20分程度なので、荷造りと移動時間全て込みで20分以内に済ませるのは到底無理なため、延ばせないか交渉し1時間にしてもらいました。なるべく早く行ってくださいとのことで、電話が来たのが15時半なので、もしかすると病院側の入院受け入れの時間が16時までなのかな~と思った。

 解熱剤パワーでまた37℃台に下がっているとはいえ、お昼に吐いてその後胃にプリンしか入れていない人間に急ピッチで準備しろって鬼かよと思いました。病院からホテル移動の予定なので、入院に必要なものとホテル療養に必要なものとで、キャリーケース2つとリュック1つの大荷物。病院に向かう途中の道が工事中で通行止めになっていて、ものすごい遠回りをしなくてはいけなくなり大幅なタイムロスをするなどした。

 病院の裏手へ通されプレハブ小屋みたいなところで看護師さんに軽い問診と採血、それから体温、血圧、SPO2を測られ病院の中へ。レントゲン撮りますと言われ、明るい部屋で台に寝かされ機械にウィーンて入れられ、今まで薄暗い部屋で立ってやるやつしか知らなかったからテンション上がった。でも部屋の壁に名前と年齢がデカデカと書かれた紙が貼られていて、一週間前に誕生日を迎えて十の位が変わった私としてはまだ受け入れきれていなかったのでそんなデカデカと書かなくてもいいじゃん……と上がったテンションが下がりました。

 一通りの検査が終わったらしく、3階の病室へ移動。なるべく感染を広げないために移動は外階段。熱が下がっていてまだ動けるから良かったものの高熱で荷物運んでのぼるのはキツいんじゃないかな。解熱剤ありがとう。病棟に入ると隔離のためにビニールが張り巡らされ、異様な光景でした。保健所からは「ほぼ確実に相部屋になるとは思いますが~」と言われていたけど与えられたのは個室。ベッドと洗面台とテレビとローテーブルとイスがありました。個室ってこうなってるんだ!で、荷物を置いて、パジャマに着替えて、やることはひとつ。

 ホウレンソウは大事だもんね!

 人心地着いてみて思ったのは「なんで自分がここにいるんだろう?」ってこと。コロナで入院って言ったら死ぬ一歩手前みたいなめちゃくちゃヤバい状態の人だと思っていたので。具合が悪いことは悪いけど、そこまででは無いし点滴を打つはずが入院になっているのは、県のなんとかセンターと保健所と病院との伝言ゲームの中で何かが起きて大げさに状況が伝わっているんじゃないか?と。そのうち「手違いでした」と言われるのでは?と思いつつ、なるべく部屋をきれいに保っておこうと誓いました。

 来る途中のビニール張り巡らし含め、病院では様々な感染拡大予防措置が行われていました。極力患者と看護師が接触しないようにするのが方針のようです。食事の上げ下げはできるだけ自分で行い容器は使い捨て、食べ残しを含めたゴミは全て病室に置かれた専用のゴミ箱へ、3時間おきの検温などは記録表に書き込みiPadで写真を撮って送信、部屋の様子(ベッドの枕元付近)はカメラでモニタリングなど。

 食事のお盆の数から私のいたフロアには6~8人の患者がいて、それに対して看護師は日中2人、夜間1人の体制でした。これが多いのか少ないのかは分かりませんが、どうも問題児が多く看護師さん達は大変そうでした。頻繁に冷たい水を欲してナースコールを押すおじいちゃん、手提げを持って勝手に帰ろうとするおばあちゃん、壁越しでも聞こえるくらいの大きさでブツブツと呟くおじいちゃん……。中でも最強は虚空に向かって何かを唱え続けるおばあちゃんでした。静かにさせるために酸素マスクをつけられてもいつの間にか外しそのうち手袋を嵌められ拘束措置をとられていました。あっちへこっちへと駆けずり回らなければならない看護師さん、おつかれさまです……。

 病室ではこんな感じで体温と脈拍数、血圧、SPO2と咳とか食事をどれだけ食べたかとかを記録していきます。熱が低いうちに病院に入れて良かった。

 

12月11日(日)

  この日が体調の悪さのピークでした。固形物どころか液体すら喉を通らない。身体を起こすだけで手足が痺れて脱水症状だこれ!と思うものの、ポカリを飲んでもむせて全て吐き出してしまい、なかなか入っていきません。薬も飲める気が微塵もしませんでしたが、どうにか解熱剤だけは押し込むことができました。ひたすら痰だか唾液だか分からないものが口から溢れ続けて、貴重な水分が……となってました。点滴を切望したのですが、この表を見た看護師さんに「今日は先生がいないので我慢してください」と言われました。ドウシテ……

この日唯一摂取できた栄養がお昼の牛乳でした。その喜びがこちらです。

 牛、ありがとう。牛に感謝です。前日の入院前に食べたプリン以来の食事です。空腹自体はそこまで感じていなくて、でも何かしら栄養をとらないとまずいという意識でした。人間、これっぽっちの食事でも飢えないんだなあと学びました。

 午後には熱が下がってきたのでガンダムを見るべくテレビカードを買いました。1枚1,000円、1,000度。たぶん1分で1度消費する。結局テレビを見たのは入院中この1回だけだったのでちょっと高くついたなと思いましたが、テレビカードのイヌがかわいかったのでヨシとします。

 

12月12日(月)

 最初の筆跡が違うことがわかりますかね? この日は朝看護師さんに起こされるまで寝ていました。当時はぐっすり眠れたんだ!と喜んだのですが、この日を除いて夜中に咳き込んで何度も目を覚ます日々だったので体力が尽きて気絶してたのでは?と記事を書いている今になって思い至りました。

えっ、入院してて良かったね……? 目が覚めて良かったね……?

 この日から徐々に回復し始めました。喉の腫れがひき始め、飲み食いが可能になりました。が、食欲は戻らず、食べ物の強い匂いで吐き気を催すようになりました。食べられないが食べたくないにシフト。

 特に酢の物や貝類、お粥の匂いがキツい。普段は極力食事を残さないようにしている自分にとって、せっかくの料理に一切手をつけず袋に入れゴミ箱に入れなくてはいけないのが苦痛でした。食事の時間が近づくのが憂鬱でした。

 良いこともありました。この日はシャワーを浴びることができました。この日に至るまでお風呂に入っていません。それどころではないというのはありましたが。シャワーを浴びて人に近づいた気がしました。

 

12月13日(火)

 この日は朝食のお粥を完食しました。その反動で昼食は何も食べられず全て廃棄しましたが。夕食は半分。腹痛というのは胃腸炎で腸がザワザワする感じがあるじゃないですか、そんな感じに近かったです。

 消灯時間が過ぎた中、こっそりカメラの死角で豆腐屋さんのガチャ配信を見守りました。他人のガチャは健康に良い。

 

12月14日(水)

 この日ははじめて3食とも手をつけられました。それぞれ半分から1/3くらいは食べられたみたいです。その他の症状のところに何も書いていないのはそろそろ入院に飽きてきているからです。ここに書き続けている間は退院させて貰えないのでは?と思い始めていますね、この人。そのくせまだ食事の時間が近づくと憂鬱になっていました。

 そしてこの日に一気に患者が5~6人増えることになったらしく(廊下から漏れ聞こえる看護師さん達の話より)、病室を移動することになりました。新たな病室も個室でこれまでより少し新しい感じがありましたが、暖房の効きが悪くて寒かったです。前述の元気な問題児と離れるとこんなに静かになるんだ……という驚きもありました。看護師さんが呼ばれることは少なく人の行き来もほぼありません。この日から持ち込んだswitchで遊び始めます。プライムビデオで映画だって見ちゃいます。

 

12月15日(木)

 発症から1週間なのでそろそろ退院できると思っている人です。この日はお粥は3食とも完食、おかずは半分くらい食べています。

 

12月16日(金)

 もしかして退院させるの忘れているのかな?と思っている人です。この日にはなんと空腹感を取り戻し、食事の時間に対する忌避感が無くなりました。ナースコールを押すのもなあ、とiPadから退院時期について問い合わせを送ると「明日です」と返ってきました。よかった、忘れられていなかった。

 

12月17日(土)

 退院!!!!!

 迎えは11時頃予定でしたが、9時には身支度整えて準備していました。結局シャワーを浴びられたのは月曜日の1回だけでお風呂に入りたくてしょうがなかった。あと爪を切りたい。それから味のないお粥以外のものが食べたい!!!!!

 来た時同様荷物を持って外階段を降りましたが体力の衰えがすごかったです。車に着くだけでくたくたでした。翌日には軽い筋肉痛になっていました。

 

 

 今回の入院にあたって思いの外多くの人から心配や励ましの言葉をいただきました。ありがとうございます。元気です! 退院した日には夜遅くまでゲームしました。幸い後遺症も残りませんでした。退院直後は喉奥が腫れている?気道が狭まっている?感じが抜けませんでしたが、今は気にならないくらいになっています。

 ワクチンは4回接種済み(全てファイザー)で、最後に打ってから3週間程度でした。副反応が酷くなりがちだったので、もしかすると副反応が重い人は陽性になった時も症状が重くなるのでは?と思いました。サンプル数1/1ですが。

 病院食について、美味しくないとよく言われますが、美味しい美味しくないよりも食べ慣れない・見慣れないものが多かったです。料理名すら分からないものや謎アレンジがあり学校給食を思い出しました。あと、私は山芋にアレルギーがあり入院前に伝えていたのですが、一度食事にとろろらしきものが出されたのがちょっと怖かった。料理として見慣れないアレンジが加えられていたから断定できなかったっていうのも一因。食べたところでじんましん程度で済みますが、判断力が鈍った状態でもっと深刻なアレルギーが出るものを食べたら病院とはいえ恐ろしいですね。

 

 

さて、後述すると書きながら書く場所を見失っていたホテル療養時および入院時に必要だと言われたものを以下に書いておきます。このブログが参考になるとは思えませんが、万が一ということがありますし。地方自治体や滞在施設によって差異はあるはずなので参考程度にしてください。私みたいに急いで準備することを求められる場合もあるので、普段から用意できるものは揃えておくといいと思います。

 

【ホテル療養】

保険証

携帯電話

充電器

不織布のマスク15~20枚

1週間から10日分の着替え

ハンガー

洗濯洗剤(洗面台での手洗い)

時間つぶしになるもの

パジャマ

必要であれば炭酸飲料、ジュース、お菓子

※外出、面会、差し入れは不可

移動は家族による送迎or県の手配したタクシー

 

【病院療養】

保険証

薬(あるのであればお薬手帳も)

着替え(最長17日)

ハンガー

洗濯洗剤(洗面台での手洗いは可)

洗面用具

割れにくいコップ

500mlの飲み物2~3本

不織布のマスク10枚程度

携帯電話

充電器

※パジャマ・バスタオル・タオルは500円/1日でレンタル可

売店へのスタッフの購入代行可

※同居以外の家族による差し入れ可

 

●上記以外であると(あって)よかった物

ティッシュ 3箱消費

リップクリーム(乾燥でものすごいガサガサになった)

ゼリー飲料

りんごジュース

iPad

switch