とうらぶ無双ありがとう

とうらぶ無双こと刀剣乱舞無双ありがとう。

そんなお気持ちを叫びたく、ゲーム本編をクリアしてきたいま、この記事を書きます。

 

発表からずっと楽しみにしてました。毎週情報解禁やPV公開してくれて全然待った気がしない。体感一瞬だった。ありがとう。

 

本家とうらぶは最近サボりがちだったけどそこそこやってる、無双は三國無双を何作品か、無双OROCHIはシリーズ全部やってて結構好き。ただ、戦国無双は無印をちょっとしかやってないのと、コラボ無双はこれが初めてなのでそこまで詳しいわけではない。そんな感じのプレイヤーです。

 

事前情報として知っていたのは

  • 普段アクションゲームをやらない人でも楽しめるように難易度を低くしてある
  • Yボタンだけで戦える簡単モードといつもの操作の通常モードがある
  • 1ステージが10分程度で終わるサクサク設計
  • DLCなどでのキャラ追加予定無し
  • 好評なら第二弾を検討する

これくらいかな。あんまりハードのこと詳しくないけど、PS4に比べるとswitchはグラフィック性能や処理能力が低いイメージなので、「無双ゲーを出すのにswitchかあ」と思いました。携帯機としても使えるswitchなら気軽に遊べるのと、ターゲットにしやすいライト層が狙いやすいからなのかな。あつ森でハードから買った人多かったし、最近知ったけど乙女ゲーも結構switchで出てるし。

なので、キャラゲーとしては楽しみにしてたけど、正直無双としてはそこまで期待できてはいなかったです。それでも3Dで動いて喋るキャラを見ることができるのと、本家がサ終して費やしてきた物が無に帰すときが来てもよりどころになる場所を我々に与えてくれた喜びが大きかった。だからどんなのが来ても受け入れる準備はできていました。

 

で、実際に遊んでみたら予想以上に良かったです。ちゃんと無双だった。戦闘開始前の画面だったり、がっつりめの解説で歴史のお勉強にもなる辺りだったり。

コエテクの戦国モノの解釈が地盤として整ってるところに刀剣乱舞の来歴いろいろ刀剣男士をぶつけてるんだもの、おもしろくないわけないじゃない。

戦場もただボタン押して終わるだけじゃなくて、迷路みたいになってる面や敵に見つからないように進む面、ギミックを操作する面もあったのでおもしろかった。これ本当にゲーム全然やらない人大丈夫かな?って思うとこもあったけど、時間経過でヒント与えられるしたぶん大丈夫。慣れてる人はヒント貰う前に突破できるだろうし、ちょうど良いんじゃないだろうか。

不満点は1戦場の制限時間が長くても30分くらいしかないことと、敵の数が少ないこと。

無双といえば(一部の急がなきゃいけないシナリオを除いて)、15分そこそこで終わるマップで制限時間は1時間くらいあるので自由に戦場を散歩したり、敵を1000体倒して「貴殿こそ真の三國無双です」とか言われたりするのが楽しいのにそれができなかったのが残念。フォトモードも充実してたし、マップの種類豊富で景色もきれいだったのにそれをじっくり味わえないのはもったいない。敗北条件を気にせずワラワラ無限湧きする敵を倒しまくるのとかやりたい。ここはDLCやアプデで追加戦場とかフリーモードが来るのを期待します。

 

刀剣乱舞作品としては文句の付け所が無いと思う。フルボイスで本家の10倍どころか100倍、1000倍の供給がある。キャラクター同士の会話も全ての組み合わせで話を聞ける。すごい。

刀剣乱舞は設定上、プレイヤーの数だけ本丸があるので、各種派生作品は全てそこだけの関係性が構築されているのだけど、これもまたひとつの独立した存在であるということを強く見せられてそれがまた良かった。アニメとは違う呼称、舞台とは違う性格(設定からは逸脱しない範囲での差)、そういうのとても良い。ありがとう。

ファンとしてはこれだけでずっと遊べる。OROCHI2にあったレベル99まで行ったらリセットできる転生システム入れてくれ。何度でも繰り返すので。本当にありがとう、本当にありがとう。

2021年振り返り

 こんばんは。こちらは2021年12月31日です。今日って大晦日だったんですね。年の瀬だ。「年内に記事書きたいな~」って言ったくせにゲームとゲームで忙しくて全然書けませんでした。書きかけの下書きばかり増えてゆく。そのうち公開できるといいですね。頑張ってください。

 

 私は1月1日は毎年小学校からの友達と徒歩圏の神社へ初詣に行くのが恒例行事になっています。中学2年生のときに塾で仲良くなった隣の学校の子が巫女さんのアルバイトをしてたのがきっかけで、まあ高校受験も近いし行ける範囲を巡ろうかってところから今に至るまで続いてます。ぐるっと4ヶ所くらい巡るかな。そんなあっちこっち行って御利益があるのかどうかは知らないけど、1年の中で会う機会がそれくらいしかないのでヨシ!としています。軽いノリで始まってメンバーも同じ塾だった子と、あと偶然その会話をしたときに近くにいた子だったわりに不思議と続いている習慣?です。

 神社に行って、お賽銭投げ入れて、二礼二拍手一礼して、鈴をジャラジャラ鳴らして、気が向いたらおみくじを引きます。みんな初詣で何をお願いするのでしょうか?私は毎年決まっていて「今年も楽しくなりますように」とお願いしています。おかげさまで日々楽しく過ごしております。

 

 今年ももちろん楽しい1年になりました。去年に引き続きコロナコロナで遠出はしにくい年ではありましたが、それはそれ。楽しみようはいくらでもあります。個人的な今年の一大ニュースは間違いなく同人誌を発行したことですね。遠出しないので、これまでイベント遠征に使っていた費用が丸々浮いています。フヨーフキュー云々のおふれが出ているので、家からもあまり出ることはありません。さらにオンラインイベントの開催、印刷所の少部数発行支援の流れ、あらゆることが追い風になり「いっちょやってみるか」となりました。コロナ前の時点では読み専だったわけで、まさかまさかですよね。自家通販もやればできるもんだ。ネットで公開するときには中身ができていればそれで完成だったけれど、表紙は必要だし、レイアウト云々や紙の材質とか、印刷方法だとか、通販サイトの準備だとか、お品書きやサクカの用意とか、工程多すぎーーーーー!毎工程騒いでいました。そしてちょっと生々しいんだけど、発行部数に限りがあるから労力のわりに感想が来ない!それの数ヶ月前に公開した作品の閲覧数の1/40以下の発行数だから母数が少なくて貰えないのも仕方ないと言えるけれども。むしろそんな極々少部数で1件だけでもいただけたことが奇跡なのかもしれない。感想を貰うことが原動力になっている民にはネット公開の方が断然コスパが良いんだなあという学びを得ました。今回はやってみたかったからやっただけなので、紙媒体のフィールドにはもっと強くなったら帰ってこようと思います。

 あとはゲームもたくさんやったなあ、相変わらず。最近で言えば龍が如く0、絶対階級学園をクリアしました。ソシャゲばっかりで終わりのあるゲームに手を出す機会がめっきり減りつつある中、やっぱコンシューマーはいいよなあと思いました。達成感があるもの。ああそうだ、深世海もクリアした。あれも良かったなあ。みんなでやったUnrailed!も楽しかった。アンテはGルート未クリアです。他にも未消化積みゲーはたくさんあります。

 それからなんとなくコロナが落ち着きの雰囲気を見せてくれたおかげで、去年は中止が相次いだ舞台公演もやってくれるようになりました。ただ完全に以前のように遠方の人が気軽に見に行ける状況ではないということもあり、オンライン配信が活性化してくれたのは(携わる方々は大変なのでしょうけど)、地方民としては喜びです。これまでであれば配信があっても千秋楽(最終公演)のみだったのが、初日や前楽(最終公演の1つ前)も配信してくれるのはとても助かります。作品によっては全公演配信してくれるものもあり、「あっ今日は時間に余裕があるな、配信買おう」となるのは最高でした。だから舞台作品も多く見ることができたのではないでしょうか?人生が潤うのでとても良いです。

 

 2022年もまた引き続き日々を楽しく過ごして行こうと思います。このままコロナくんが静かにしてくれていれば、GW辺りに名古屋に遊びに行きたいなーなんて考えています。最後に訪れてからもう2年も経ってしまうということに驚きです。以前はものすごく気軽に行っていたのに。いや、そもそも住んでいたわけでも、親戚がいるわけでもない地域にちょくちょく行っていた方が不思議なのか?ご都合よろしい方はぜひ遊んでくださいね。

 最後になりましたが、来年もまたよろしくお願いします。皆々様も楽しい年になると良いですね。

副反応の思い出

 新型コロナウイルスワクチン2回目の副反応を卒業し、無事7割側の日本人になりました。(10/31時点ワクチン摂取率72.5%[2回目完了])

 TLでも早い人たちは7月頃からフクハンノウガーとなっていて、大変そうだなあと眺めていました。だからといって接種を渋っていたわけではなく、こちらは接種券配布の遅めな自治体な上に優先度が最も低い区分に属しているために接種タイミングが今になりました。市内のこの区分の民としてはまあまあ標準的なタイミングです。

 貴重な機会ですし、せっかくなので体験レポを書いておきます。今更誰かの参考になることはそう無いでしょう。観賞用です。接種したのはファイザー製のワクチンです。モデルナ製の方が副反応が酷いと聞くので、そちらを打っていたらもっと長引いたり酷い目に合ったりしていたのでは?と思うとゾッとしますね。

 

 Twitterを記録帳代わりに体温変化をメモしている先人を目にし「アレやりたい!」と思っていたので、自分も体温を記録してグラフを作成しました。

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 ご覧の通り1回目は大きな体温変化はありませんでした。ワクチン接種前が最も高かったです。テンション上がってたのでしょうね。打ってから30分そこそこで腕が重い気がする?となり、じわじわと痛くなっていきました。それ以外は特に副反応はありませんでした。腕の痛みは2,3日くらい継続しました。

 2回目が思った以上に発熱が長引きました。熱のせいか睡眠が浅くておよそ1時間おきに目が覚めていたのでデータ取りにはちょうど良かったです。腕は1回目ほど痛くはなりませんでした。副反応は腕の痛みの他、発熱、弱い頭痛、弱い吐き気(発熱によるものかも)、ガチャ運向上がみられました。

 風邪などとは違って、酷いのは発熱くらいだったので数字のわりには元気でした。体感38.5℃以下ならほぼ普通に過ごせる、以上だとフラつきや倦怠感を伴う。それでも起きて活動するほどの気力はなかったのでこの間ずっとベッドの上で過ごしました。iPadは偉大。細かい操作が必要なゲームは出来る気がせず、ウマ娘がちょうど良いラインでした。あとは録画していた番組を見たり、Kindleでマンガを読んだり。高熱の中メイドインアビスはしんどいだろうなと思い(結局読んだけど)、かげきしょうじょ!!を読んでいました。いいぞ。

 

 ワクチン接種当日、きっと寝込むことになるだろうとお昼にたこ焼き、夜には寿司を食べ、さらにまほステDVDの視聴と好きなことをこれでもかというくらいやりました。思ったんですけど、この接種直前行動って「もし明日地球が滅ぶなら」みたいな状況に陥った時に取る行動なんじゃないかなと思いました。ポカリやゼリー飲料を買って、数日分の食料と薬を用意して、と準備をしっかり行う人はきっとそういう場面においてもやれる準備は全部やる。私は好きなことややりたいことをギリギリまでやってるんだろうなあ。そういえば震災の時も避難先で毎晩酒盛りしてたな。

 みなさんはどんな副反応生活を送りましたか?なんでもなかった人はおめでとうございます。これからの人は頑張ってください。

同人誌を出しました(本塁打)

 素振りの対義語って本塁打かなと思ったので本塁打。どこかで今年の目標は「同人誌を作ること」だって宣言したので、有言実行するためにせこせこ活動していました。

 

みんな本を書いている。書いていないのはお前だけ。

 なんかTL各位結構本書いて出してるじゃないっすか。しっかりとした専門書から日頃のお絵かきまとめ本まで。もしかすると想像しているのよりは簡単に作れるものなのかなと思っちゃいました。

 少し遡りますが、いてづきさんが技術書典で本を出したときにほんのちょっと手伝ったことが大きなきっかけです。制作過程を垣間見て具体的にどうやって出来ていくのかっていう部分を見ながら、気軽に作って良いんだって思いました(あの本がライトな内容だとかそういう意味じゃなくてね)。

 後は去年からのコロナ禍で1冊単位の超少部数制作に支援の動きが発生して初めて制作することに関して追い風が吹いたり、そっちの道の師匠に外堀を埋められて逃げられなくなったりしました。外出もしづらい情勢で、家に引きこもる時間ならわりと確保することも可能だし。pictSQUAREというオンラインの即売会サービスも登場し、家に居ながらにしてイベント参加ができるようにもなっていて、公開する場も整えられている。もう制作するなら今が好機だなあと。というわけで同人誌制作に手を出しました。

 制作にあたっていてづきさんのブログ何度も見直して参考にしました。お世話になりました。

mistolteen.hatenablog.com

 

 制作過程を振り返りながら書いていこうかと思いましたが、おそろしく長くなりそうだったので(書くかわからないけど)、年末のアドベントカレンダー用にとっておきます。今回は結果の部分だけ。

 

 一番迷ったのは発行部数でした。何冊刷ればいいのか。小説ジャンルなのでまあきっとそんなに見向きされないだろう。部数に関して調べると「フォロワーの1割程度の数で良い」というのを見かけました。

 私のpixivフォロワーは20人そこそこ、Twitterフォロワーは15人未満です。つまり1割ということは1~2冊?やだやだぁ~~!どうせならもっと出すぅ~!ということで結局全て在庫になっても部屋の隅に置いておける数にしようということで20冊刷ってみました。全然調べたこと参考にしてない、ウケる。

 「初めての同人誌は何冊売れたか?」みたいな話題は結構見かけて、1冊も捌けないというのはわりとあることらしいです。そういう記事を読み漁って爆死してもダメージを受けないようイメトレはバッチリ行いました。ただ、「入稿しました!」とかツイートしている段階で既に「新刊を手に取るのが楽しみです」なんてメッセージを送って下さる方や進捗ツイにイイネを押してくれる方がおられて、少なくともゼロってことはないだろうという見通しが立っていたのはすごく心強かったです。

 

 そして迎えたイベント当日。オンラインイベントなのでその日の午前0時から午後23時50分とほぼ24時間開催が可能です。通販サイトは開催の15分くらい前にオープンさせ、リンクも貼って準備万端にしておきました。

 開催時刻と同時に宣伝ツイートをしてからアクセスし、真っ先に自分のスペースへ向かい問題なくリンクなどが機能しているかを確認しました。通販ページに飛んでびっくり、既に注文が入っている!?便利なことに通販サイトでは注文時刻を確認することができ、見に行くと開場前にカートに入れている方がいました。おそらく私がリンクを貼って回っている頃で宣伝ツイートするよりも前だと思います。よくたどり着いたね、ニンジャかよ。

 その後も続々と注文通知が届き、開場から1時間経つ頃には用意した部数の半分以上が捌けました。イベント内の注文数は5部程度で後は通販サイトに常設で置いておいて、万が一再びイベント参加することがあれば既刊として持ち込むことを想定していたため、めちゃくちゃビビりました。目が冴えて寝れなくなりました。

 結局19時半頃には在庫が尽き、その場合の対応を一切考慮していなかったために混乱し、スペースの「新刊アリ」の「アリ」の部分を自身のアバターで覆い隠し続けました。新刊アリ(あるとは言ってない)。

 在庫が尽きた後もスペースを訪れて下さったり、再販を希望する声もいただいたりでもしかするとプラス20部くらい刷っても良かったんじゃないかと思いました。恐ろしいほどの大勝利です。

 神絵師や神字書き様に混ざって出展するって視覚的にすごく刺激的でした。同じ土俵にいる、やべえ。リアルイベントなら配置場所や行列の長さで格差を見せつけられるのでしょうけど、そういうのが無かったのも良かったのかもしれません。

 チャットも気軽に出来て、つい目の前に現れた愉快なアバターの人に声を掛けたら、大手も大手の神絵師様で内心ビビりました。サンプルを読んでくださっていて、なんやかんやあり相互フォロワーになりました。やべえ。

 

 ただ書いて投稿するのとは違って、制作過程がたくさんあったり、イベント後も自家通販のため発送作業に追われたりでサークル参加の方々の苦労の一片を知ることができた良い経験になりました。けれどリターンは大きく、また制作するかは未定なものの、癖になっちゃうのはわかるなあ。

たのしい健康診断二次検査

 みなさんは健康診断を受けたことがありますか? 私はあります。

 みなさんは二次検査を勧められたことはありますか? 私はあります。

 みなさんは二次検査を受けに行って「何やったらいいかわからない」と帰されたことはありますか? 私はあります。

 

 今回はそんなお話を書きたいと思います。

(※ググった情報を記載しますが、医療関係者ではないド素人調べおよび理解のため不確かです。鵜呑みにしないよう注意すると共に間違っていたら教えてください)

 

 今回の健康診断でアウトだった項目は以下の4つです。

・視力検査

・血液検査

・脂質検査

腫瘍マーカー

 

 このうち視力の低下は自覚していたので視力検査は引っかかるだろうなあと思っていました。

 血液検査と脂質検査については自覚症状があったら病院に行ってね、の判定。いずれも気にするほどではないなと思ってます。特に何ともありませんし。

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 ヘモグロビンが基準値にギリギリ届いていなかった。

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 non-HDLコレステロールがちょっと低め。これは去年と同じような数字なのでそういう体質なんだろうと思ってます。

 

 さて、残りのひとつである腫瘍マーカーが今回の主役です。腫瘍マーカーとは血液を採取して体内の腫瘍から分泌されるタンパク質を検出するもの。簡易的な位置付けのようで、ガンかどうかを判定する目安のひとつに使われるそうです。メインの検査項目ではなくオプションの検査項目ですが、私の職場では一時期ガンにかかる方が続き(職場環境とガン発症の因果関係を完全に否定しきれないよね、ということもあり)、早期発見する目的で数年前から追加実施していました。

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 基準値よりは確かに高いけれど、そこまでではないのでは?が第一印象。でも判定は要精密検査とのこと。えー、めんどくさーい。でも行ってこいというのだから行かねばならない。

 

 ところで腫瘍マーカーでアウトだった場合何科に行けば良いのでしょうか?そもそもSCCって何なのでしょうか?それを調べるところからスタートです。

 腫瘍マーカーのSCCに対応するガンの種類は「上皮性がん」というものが該当するようです。あまり聞き慣れません。上皮性がんとは何なのかについても調べました。上皮性がんとは上皮細胞でできるがんだそうです。代表的なものは、肺がん、乳がん胃がん、大腸がん、子宮がん、卵巣がん喉頭がん、咽頭がん、舌がんなど、だそうです。

 つまりどこなんだ!?あっちこっちが怪しい。わからねえ!

 よく分からないときはオーディエンスに頼るに限ります。すると返ってきた答えは「総合病院に行けば?」なるほど確かに。総合って看板掲げてるくらいだし、いろんなジャンルをカバーしていそうだ。

 パッと思いつく最寄りの総合病院は車で15分そこそこ。古めかしいあの病院は祖母や母が入院し、自身も甲状腺がん検診(震災当時18歳以下の県民が定期的に受けるやつ)で一度お世話になりました。

 調べたところ、総合案内でどういう目的で来たのかなどの相談を受け付けてくれるっぽいです。何科に行ったらいいのかも分からない自分にはちょうどいい、ここに行こう!と決めたところで「総合案内のおばちゃん、厳しいから気をつけてね」との有識者情報。門前払いの可能性が大きく浮上しましたが、せめて何科を受診すればいいのかの情報を得られるといいなと思いました。具体的な病院名を挙げてもらえれば大勝利です。

 

 そして迎えた次の土曜日。

 マスクヨシ!財布ヨシ!保険証ヨシ!長時間待たされることを想定した暇つぶしアイテムヨシ!

 準備万端、レッツゴーと意気揚々と出発するも健康診断の結果表を忘れて来た道を戻る。これが無くちゃあ話ができねえ。

 再出発の後にようやく到着。相変わらず駐車場が狭くてキレ散らかした。入り口の体温チェックは36.7℃で無事通過。

 さあ、ここからが今日の本番、vs総合案内のおばちゃんだ。視線を向けるとおばあちゃんと話し込んでいた。後ろに並んで順番を待つ。自然と耳に入ってくるやりとりの内容。

「……ですからねえ、どこの病院でも診てもらえなくて」

「10年前にかかったというのはここの病院なんですか?」

「いいえ、違います」

「じゃあその病院に行ってください」

「でもねえ、私ももう足がこんなんで。とてもじゃないけど行けないのよ」

「他に通っている病院とか飲んでるお薬は無いんですか?」

「血液をサラサラにするやつは飲んでます。でも内科だから」

「内科でも薬をもらっているのだから相談してみてください」

「けどねえ内科だから」

「ウチにかかったこと無いんですよね」

「でもねえ脳神経外科って書いてあるじゃないの」

「まずは通っている病院に相談するのが良いと思います」

「でもねえ内科だから」

 以下エンドレス。私は声を大にして叫びたい。おいやめろ!!!!総合案内のおばちゃんがいらだってんじゃんよ!!!!

  私の後ろに並んだおじさんも「うわあ」という表情を浮かべています。ねえ、おばあちゃん。周囲をよく見て?

 そしてそれから数分後、おばあちゃんは渋々といった様子で去って行きました。ようやく終わったという表情のおばちゃんと目が合います。すいません、次もまたちょっとめんどくさ案件です。

 出来る限り簡潔に説明をしました。持参した結果表を手渡し、見てもらいます。突き返されるかと思いきやじっくり眺めています。動きが止まりました。そしておばちゃんは首を傾げました。

 ええ……?思っていたのとは違うタイプの反応です。「ちょっと待ってて」と言いながらおばちゃんはどこかへ行きました。残される私と順番待ちのおじさん。気まずい。一瞬で終わると思ったのに、おじさんごめんね……。

 数分後おばちゃんが戻ってきた!と思ったら「もう少し待ってて」と反対方向へ。再び訪れるおじさんと私の気まずい沈黙。

 おばちゃんが帰還したのはさらに数分後のことでした。

「あのねえ、これ腫瘍マーカーをやったのよね?」

「はい」

「ここで血液検査をもう1回することはできるけど、既に2回同じような数字が出ているし変わらないと思うのよ。たぶんこの数字は間違いじゃないし」

「そうですね」

腫瘍マーカーのSCCの精密検査って何をすればいいの?」

 一般人がわかるわけないじゃないですか。返答に困ります。

腫瘍マーカーってがんの疑いがある人が行って反応が出たら腫瘍がありますねって治療を進めるものなの。これだけ見せられてもどこに対してどう検査や治療をしていいのかわからないんです」

 と、言われましても……。どうすればええんや。おばちゃんの説明はわかりました。が、要精密検査と書かれている以上、「病院行きました。何もせず帰ってきました」とは報告しづらい。だって要精密検査なんだよ?そんなこちらのお気持ちが通じたようで、おばちゃんも頑張って考えてくれます。

「こう書かれると不安になっちゃうよねえ。自覚症状とか無くて健康そのものなんでしょ?……うーん、検診を受けたところに一度電話するのはどうかしら」

「なんて聞けばいいんですか?」

「このような結果が届いたのですが、具体的にどういった方法で検査や治療を行えば良いのでしょうか、と」

 なるほど。それで教えてもらえば病院へ行って聞いたままを伝えればいろいろ対応してもらえそうだ。おばちゃんにお礼を行って後にしました。

 去り際に声が耳に入ってくる。

「すいませーん、紹介状あるんですがー!」

「待ってください。この男性が先に並んでいたのでそちらが優先です」

「すいませーん、紹介状あるんですがー!」

(おばちゃんガン無視)

  おばちゃんも大変だなあ。そら厳しくもなるよ。

 

 家に帰って調べてみると土曜の午前中だったら電話を受け付けてくれる模様だったのでさっそく電話をかけてみました。同じような問い合わせが来ているのでは?と思いましたが、そんな様子はなく返ってきた答えは「月曜に担当医師に確認しお電話いたします」とのこと。おとなしく待つことにしました。

 休みが明けての月曜日。いつ電話がかかってくるのかソワソワしながら待ちました。30分ごとに着信を確認しにロッカーを見に行きますが全然来ません。待ってないとすぐ来るのに待つとなると全然来ないの謎。宅配とかもそうだよね。16時半で電話受付終了と記載されているのに16時を過ぎてもかかってこない電話。16時15分になってもかかってこなければいっそのことこちらから電話をしてしまおうかとも思いました。そんな不穏な気配を察したのかようやく鳴りました。

 で、その内容が以下です。

「医師に確認したところ、基準値から大幅に外れているということでもないので、自覚症状があるとかでなければ気にする必要は無いようです」

「職場には何と報告したら良いですか?」

「『二次検査を受けた結果、経過観察とのこと』で良いかと」

「なるほど、わかりました」

 電話を切ってその足で階下の事務所へ行き、

「かくかくしかじかで問い合わせをしたところ、『二次検査を受けた結果、経過観察とのこと』で良いかと、と言われました」

と報告しました。これには担当者も苦笑い。これにて二次検査(笑)ターンエンドです。

 

 本格的にやるとするなら全身のPET検査くらいかなとは総合案内のおばちゃんが言っていましたが、高いし十中八九今の私には必要ないので妥当な落とし所であるとは言えるけどまさかお医者さんに会わずして済んでしまうとは思いませんでした。こんなこともあるんだね。

 みなさんももし腫瘍マーカーのSCCの項目で引っかかったとしても、私みたいなパターンもあるのであまり慌てる必要は無いかもしれません。アトピー、気管支炎、喘息、皮膚の炎症がある人は高く出るらしいです。私の場合はほとんど確実にそれだなと思っていたので特に焦りはありませんでした。なんともなくて良かったです。

 以上話せば3分くらいで終わると思ったのにいざ書いてみたらとても長くなってしまった健康診断二次検査のお話でした。

あれから10年

前置き


 東日本大地震から10年が経とうとしている。キリの良い年であること、つい先日に大きめの余震があったことが契機になり振り返って書いてみようかなと思った。
 あらかじめ書いておくが、私は被災したが幸いにして大きな被害がなかった立場だし、周囲にいるのもそういった人々がほとんどだ。だから当時のことを積極的に語ることができる。聞かれたところで嫌な思いはしないし、むしろ知りたいならいくらでも話すから聞いてくれのスタンスだ。特に気を遣っていただく必要はない。
 しかし皆が皆そうとは限らない。住む場所、家族を失った人はたくさんいるし、そういった目に見える被害は受けずとも心に傷を負った人も大勢いる。そんな人たちに対しては本人が望まない限りそっとしておいてあげてほしい。見た目じゃわからないから難しいことだ。

 

3月11日


 春休みを満喫中の私は自分の部屋にいた。ヒーターをつけて寝転んで本を読んでいた。その瞬間までなんてことないただの春休みの午後だった。
 揺れで地震に気づき身を起こした。最初は小さかったが段々大きくなって部屋にいては危険だと思った。ヒーターを消して廊下に出た。その頃には何かにつかまらないと立っていられないくらい揺れが大きくなっていたので、近くの頑丈そうなところを探して目についた階段の腰壁(?)にしがみついた。立っていることしかできなかったので、家中のそこかしこで何かが倒れたり割れたりする音を聞いていた。天井を見上げてこれが落ちてきたら痛いだろうなあとぼんやり考えた。
 揺れが収まって動けるようになって家の中を見て回った。さっきまで私が寝転んでいた場所は本棚の下敷きになっていた。ヒーターにもぶつかっていたので電源を消しておいて正解だったと思った。重そうなものは放置して戻せるものは戻した。窓は割れなかったし屋根も大丈夫だった。とりあえず家が無事なことに一安心した。
 テレビをつけて初めて非常に大規模な地震だったことを知った。我が家は震度6弱の地域に入っていた。だが体感ではもっと強いように思った。

 さて、大地震をうけて次に自分が取るべき行動は何なのか。万一の退路を確保するために窓やドアを開け放ちながら考えた。周囲の安全は確認した。家族の無事も確認できた。ふとよぎったのは阪神大震災や新潟中越沖地震の特集番組。その中のインタビューで被災した人が「水が無いのが困った。何をするにも水がいる」と言っていたのを思い出した。

 そうだ、水。あれだけの大きな地震だったのだ。どこかで水道管がやられていても全く不思議ではない。家中のペットボトルに水を溜めた。それまで誰も断水の経験などない。だから「そんなことして意味があるのか」と言われた。

 その1,2時間後に水道がとまった。蛇口をひねっても水が出ないということをこの時初めて経験した。

 それからはずっとテレビにくぎ付けになっていた。電気は無事だったのが幸いだ。ただただ地震の被害と津波の映像と火災の様子を見ていた。気づけば外は真っ暗になり仕事に行っていた両親も帰ってきた。雪が降り始めていたから、かなり寒い日だったと思う。こんな寒い日に暖を取れない、家にいられないなんて大変だと思いながらテレビを見ていた。

 しばらくして、ピンポーンとチャイムが鳴り斜向かいに住む親戚がやってきた。そこで初めて画面の向こう側の出来事に思えていた惨状が現実のものであったと突きつけられた。私の親戚の多くは海沿いに住んでいる。みんな家が流されどこに行ったら良いのかわからずに高台にあるお寺やゴルフ場に身を寄せているのだという。我が家に来たその親戚は数時間かけてようやく家に帰り着き、これから避難している親戚をひとりでも多く連れてこようと両親に車を出してもらいに来たのだった。

 ショックだった。テレビに映されるのは宮城や岩手といった遠い地域だったからということもあるが、家のチャイムが鳴るまで誰も親戚の多く住む身近な海沿いの地域のことまで頭が回らないなんて。

 それから数時間後、両親と親戚はゴルフ場から何人か連れ帰ってきた。偶然会えた親戚とその近所の人たちだ。どこもかしこも混乱状態でとりあえず目についた知り合いを乗せて帰ってきたらしい。身内に連絡が取れて落ち着き場所を見つけるまで我が家に滞在してもらうことになった。

 

3月12~16日

 

津波

 翌日になると連絡も取れるようになり、おおよその親戚たちが無事なのかどこにいるのかが見えるようになってきた。我が家に身を寄せていた親戚の近所の人も家族が迎えに来て無事に帰っていった。入れ替わりに避難所に避難していた親戚を避難所は寒いだろうからと迎え入れた。避難所では一家族におにぎり1つ支給されそれを分け合って食べていたらしい。水は無いけど米は農家から買っていて、味噌は自家製なので十分にある。寒くないし食うにも困らないからと我が家は可能な限り親戚を受け入れた。

 親戚の中に土木関係の仕事をしている人がいて、所有している重機が無事なことが分かった。それを動かして地震翌日の12日から流された自宅周辺のがれきの撤去作業を始めた。私は13日にそれの手伝いと家に残してきた貴重品の回収のために同行した。

 あらゆるものがなぎ倒されていた。記憶にあるのは細い路地と家々が密集している様子なのにそんなものは跡形もなく遠くの方までよく見えた。皮肉なことに快晴だった。津波から2日経っているのにがれきの山は湿っていた。津波で行方不明になった人は大勢いる。もしかすると今自分が立っている場所の下にも埋まっている人がいるかもしれない。そう思いながら歩いた。うっすら下水の臭いが漂っていた。電柱が倒れて通りづらくなっていたので、その場に居合わせた人と協力してその上に近場に転がっていた板を乗せて簡易的なスロープをつくった。

 一緒にいた親戚のおじさんおばさんと家を訪れた。外から見るとまだ形を保っているように見えたが、中身はぐちゃぐちゃだった。庭には数台の車が流れ着いていておじさん自慢の植木にぶつかっていた。

 家の中から保険証とか薬とか大事そうなものを探して流れ着いた車のボンネットの上に並べた。どれもこれも濡れていて少しでも乾けばいいなと思った。しばらく作業していると見知らぬ2人に声をかけられた。話を聞くと彼らは車に乗ったまま津波に巻き込まれたらしい。流されてこの家の植木に車が引っかかって止まったのだとか。どうにか車から抜け出し、植木伝いにこの家の屋根に避難したと言っていた。この家に人がいるのを見かけておじさんとおばさんにお礼を言いに来たのだと。「生きていて良かったですね」助かった人も、おじさんおばさんも、お互いにそれ以上何を言っていいのか分からなかった。

 貴重品探しが終わらないうちにサイレンが鳴り響いた。「津波が来ます。避難してください」少し大きめの余震の後にそんな声が聞こえた。拡声器で呼びかけて回っているのだろう。とりあえず手近なものだけ持って退避した。

 サイレンが収まったら家に戻って、サイレンが鳴ったら退避する。それを繰り返した。

 

・水

 貴重品をあらかた回収して家に帰った。相変わらず断水している。道中の建物に「水あります」という貼り紙がしてあった。きっと井戸のある家なんだろう。大変な中ありがたいことだと思った。水の確保は急務だった。12日は山に行き湧き水をタンクに入れて帰ってきた。ゴミ焼却場はまだ出るらしいと聞き、いくつか容器を持っていったが入れているうちにだんだん水が細くなっていった。そうやっていろんな場所で水を入手した。数日後、近所の小学校に給水車が来てくれたので自転車に空ペットボトルを積めるだけ積んで行った。校庭に着いたら「給水は避難者が優先です。近隣住民の方はご遠慮ください」とアナウンスしていた。水が無いのはみんな一緒なのになんで自分たちはダメなのかと憤った。

 

原発事故

 近所の人たちが原発道路と呼んでいる道を南下してくる車が多いのをいろんな人が目撃していた。「逃げてきている?」「何かあったんじゃないか」「旦那さんが原発に勤めている人が早く逃げろって連絡がきたと言っていた」そんな声が飛び交っていた。我々が事態を知るのはそのしばらく後だった。遅れてどうやらなるべく外に出ない方が良いようだと知った。がれきの撤去もしに行かない方がいいし、井戸水も湧き水も口にすべきではない。今更といえば今更の話だ。

 それからはなるべく外に出ないようにした。原発から半径30キロで線を引かれその内側の地域の住民へ避難指示が出た。我が家はその円の外側にある。けれど外側だからって本当に安心できるのか?そういう話になり、親戚内でも話し合いをして私の家族を含んだ4家族がまとめて千葉の親戚の家に避難することにした。 

 

3月17日~

 蛇口を捻ると水が出ることに感動した。これならバケツに汲み放題だ!と思ったところで水が出るならその必要もないことに気づいた。数日ぶりの入浴はなんて豪勢に水を使うのだろうともったいなさすら感じた。4番目辺りに入ったのに浴槽は真っ黒に濁っていた。

 避難先で風評被害を受ける話をよく耳にするが、私はそういったことはなかった。むしろ気管支炎を起こして診察を受けた病院の先生が気にかけてくれて、数日後どこどこでスクリーニング検査を受けることができると電話をくれたほどだ。

 親戚の気遣いもあり不自由なく過ごした。夜は和室に敷き詰めるように布団を敷いてみんなで雑魚寝した。1人につき布団1つなんてもんじゃない。ぎゅうぎゅう詰めだった。計画停電による数回の停電があったがそれすら楽しく過ごせた。

 

「普通」に戻るまで

 帰ってきたのは4月1日だ。水道も復旧し、学校再開の目処が立つなどなんとなく元に戻ろうと動きつつあった。電車も少しずつ運行区間が延びて学校が始まる頃には通学できそうだった。いろんなところで復旧作業が行われていた。

 そんな中、影を落とすのが放射線問題。たくさんの情報が錯綜し、どう捉えていいのか分からなくなっていた。立ち入り禁止区域じゃないし、生活基盤はこっちにあるし、みんな戻り始めているしたぶん大丈夫なのかな?みたいなフワフワした感じだった。学校に行けばきっと先生たちがこうだから問題ないと解説してくれるに違いない。だって先生方はそれぞれの分野の専門家なのだから一般人の我々よりも詳しいに決まっている。

 けれどいざ学校が再開して行ってみればその先生方の間で意見が真っ二つに分かれていた。目を真っ赤にして「私はここを離れます。あなたたちを置いて逃げるようで心苦しいがそう決めた」という先生、「そもそも今ここで普通に授業をやっていることがおかしい。しかもあなたたちは未成年だ。若者ならより一層この場を離れるべきだ」と主張する先生もいた。そんなことを言われたところでおっしゃる通り我々は未成年で子どもなのでどうすることもできない。放射線云々に関して一番詳しそうな気がする先生は「大丈夫だ。そんなに気にする必要はない」と言っていた。だからたぶん大丈夫なのだろうと思うより他なかった。なんとなく学校内でこの話題に触れるのはタブーだという空気が流れていた。

 

 何を以って「普通」に戻ったとするのかは難しい問題だ。ライフラインが復旧したとき?人口が戻ったとき?除染作業が完了したとき?風評被害が無くなったとき?震災前の状態に完全に戻るのは無理だと思う。

 5月中旬、犬の散歩をしていたとき、吹いた風が暖かいことに気づいた。見れば足元の草は青々としていた。そのとき自分の中でずっと3月11日で時間が止まっていた時計が動き出す感覚があった。私はこのタイミングを「普通」に戻ったときとしようと思う。

 

おわりに

 10年経ったとは言え復興が終わっていないしまだ過去のことにはなっていない。「心の復興」なんて言葉があるが、私の周囲では避難してきた人と元々の住人との軋轢があってその溝は埋まることが無い様に思える。あまりメディアで取り上げられることのない話だが、この地でリアルに見てきているので知っている。

 東日本大震災はあらゆるところに爪痕を残し、未だ多くの人を苦しめている。忘れてしまいたい人も多いだろう。けれども私はこの記憶を風化させてはいけないと思う。だから今回書いてみた。もっと詳しく書けるがあまり赤裸々に語りすぎるといろいろバレバレになりそうなのでこれくらいにする。興味があれば個別にどうぞ。

 いつか完全に復興が完了したと言える日が来るといいなと思う。

Kindle Unlimitedの感想

 以前からたまにKindle Unlimitedに加入しようかな、でも無駄にしちゃうかもなあと思うことがあった。Kindle Unlimitedとは月額980円(たまにキャンペーンでお安くなっていることもある)でアマゾンのKindle本のうち、KindleUnlimited読み放題対象の本が読めちゃうサービスだ。

 アマゾンのプライム会員でもPrimeReading対象作品であれば読み放題ではあるのだが、対象作品がめちゃんこ少ない。PrimeReadingで作品漁りをしていたこともあったが、読みたい作品が見つかることの方が少ない。ググったところKindleUnlimitedで読めるのは和書だけで12万冊、PrimeReadingで読めるのはトータルおよそ900冊。文字通り桁違い。見つからないのは当然って感じがする。なので、私はもっぱら青空文庫収録作品を読むのに利用していた。

 アマゾンで書籍を購入するときに、Kindle版もあるよと提示されることがある。紙版だと注文から届くまでたいてい中一日かかるのがKindle版なら即座に読める。紙媒体で欲しいものならともかく、雑誌とかであれば電子媒体でも構わないどころかむしろかさばらなくて良いし、売り切れになることもない。それはちょっと魅力的な部分であった。で、そこにKindleUnlimitedという文字を見かけると「いいな……」と思うわけである。それにPrimeReadingで作品を探しているときに読みたいなってなる作品にKindleUnlimitedと書かれているとやっぱり「いいな……」って思っちゃう。

 「いいな……」って思っても気軽に手を出すにはちょっと高いなとなって手を引っ込める経験、みなさんにもあるだろうと思う。私はそういう場合、その「いいな……」と思う回数が3回を超えたら手を出すことにしている。それだけ思うのであれば今後もそうやって悩む機会があるに決まっているし、時間の無駄だ。やって(あるいは買って)みて合わなければ今後悩まされることはないし、合ったら合ったでもっと早くに手を出しておけば良かったと思うことになる、ということを経験的に学んでいる。なので「いいな……」ポイントが貯まった今回、とうとうKindleUnlimitedに加入してみたわけだ。ちょうどキャンペーンで最初の2ヶ月間お安くなっていたし。加入したのが1月7日のことなのでまだ1ヶ月経っていないが、感想を書きたい気分なので1ヶ月試した感想を書くことにする。

 

 

 加入するかどうかを迷っていた理由は①月額の980円以上読むことができるのか、②それだけの読みたいと思う本があるのか、③読む時間が確保できるのか、④紙媒体の書籍を読むのと同じように電子書籍を楽しむことができるのか、この辺りだ。挙げてみれば結構ある。まずはそれぞれについての感想を書いていく。

 

①月額の980円以上読むことができるのか

 加入してから読んだ本の合計金額を出してみれば簡単だ。これに関してはちょっと読んだが好みにそぐわなくて最後まで読まずに止めたものも合わせる。実際本を買っても合わずに途中で止めることもあるので。1月29日現在で結果11,875円。余裕で超えました。

 

②それだけの読みたいと思う本があるのか

 前項の続きはこっちにかかると思うのでこっちに。文庫本1冊はだいたい500~800円程度のイメージ。手近な書籍を取っても686円と552円だった。なので2冊読めれば上々かなと思っていました。それと同時に2冊も読めるのか?とも思っていた。

 しかしそれは杞憂に終わった。誤算だったのは小説換算で考えていたこと。Kindle本のジャンルは多岐にわたる。雑誌もあればマンガもあるし絵本だってある。というわけで興味のおもむくままにDLして読み漁ってみれば、あれよあれよという間に冊数が増えて28冊。ここに対象外の雪国も読んだので今月読んだ冊数はプラス1の29冊。ほぼ1日1冊ペースで読んだ計算になる。笑っちゃうね。

 

③読む時間が確保できるのか

 できました。できたね。どこの時間を削ったのか。うーん。あまり無理して時間をつくった記憶がない。まあヨシ!

 

④紙媒体の書籍を読むのと同じように電子書籍を楽しむことができるのか

 これは結構自分の中で大きい問題だった。マンガや雑誌、ハウツー本みたいなものは電子版だろうとなんだろうと構わない。けれど小説となると話は違ってくる。こと小説に関してはアンチ電子媒体派の立ち位置にいるからだ。

 電子書籍の出始めの頃に小説分野で電子書籍に賛成か反対かの論争が起きたことがある。著名な小説家の方々もそれぞれ色んなところで意見を書いていた。その辺の話をすると脇道にそれていくので置いておくが、色々意見を読んだり考えたりした上でやはり紙が良いと思った。なので雪国を読んでみたのは改めて電子書籍を読んでどう思うのか確認する意味合いもあった。

 Kindleでは現在全体の何パーセントの位置にいるかと読むペースから計算した読了までの予測時間を教えてくれる。なのでおおよそどれくらいの進行度なのか分かるには分かるのだが、なんというかずっと厚みで視覚的に把握していたぶん物足りなさを感じる。しばらく読んでふと前の方でどういう風にかかれていたっけ?と戻りたくなったとき、紙であればなんとなくこれくらいの厚さだったなとアタリをつけることができたが、電子媒体になるとそれがしづらい。ページをめくってめくって高速で流し読みしながら探さねばならなかった。

 没入感はといえば、紙媒体よりは薄れるかなあと思うけれど大元がつよい力を持つ作品だったので十分入り込めた。

 電子書籍ならではの良い部分もちゃんと見つけた。本文中にリンクがついていて該当ページにすぐ飛べたり、注釈を確認できたりするところは良かった。なので慣れれば楽しめるようになるんだと思います。

 

 

 加入前に抱いていた疑問について得られた答えはこんなところ。それ以外で良かったのは、無料なのでハズレを引くのを恐れず手を出せること、実際に店頭で見かけても買うまではしないかなっていう本も気軽に読めること、思い立った時に読めること、持ち運びが楽なことなどなど結構あった。

 タブレット端末で読んでいるときであれば、アラームを設定してうっかり時間を忘れて読みふけってしまうということも防げたし、気になる箇所をスクショしておくことも可能だった。

 それから最近万年筆の詰まり防止のために小説を書き写すこともあるが、その際紙媒体だと開いたページを押さえておかないと閉じてしまう。押さえなくても作業できるのはとても大きなメリットだった。しかもKindleにはPC版もあったので、目的に応じてiPadにしたりパソコンにしたりできるのは嬉しかった。

 

 

 ということで結構楽しい電子書籍ライフを送った約1ヶ月でした。もし気になっている人がいれば参考になると嬉しいです。ならなくても読んでくれて嬉しいです。ありがとう。