台風19号あれそれ(2)

(報告)

断水解消しました(1022日夜)

 この記事は一部断水解消前に書いた部分もあり、修正したつもりですがやや古い内容(あたかも未だ断水が継続中であるかのような)も含まれているかもしれません。その点ご注意ください。

 

 

  これの続きです。

hackve.hatenablog.com

 

 前の記事にも書きましたが、このシリーズの内容に関してはあくまで私個人の視点によるものです。同じ市内でも場所や環境により被害状況に違いが出てくるということをご留意ください。また、記事中で「~で良かった」のような表現が出てきますが、これもまたその文頭に「(私にとっては)」という文言が省略されていると考えてください。

 例えば、「今回は震災のときと比べて断水範囲が狭かったし、道路被害も小さくて良かった」のような文があった場合、被害をダイレクトに受けた方にとっては気を悪くすることもあるかと思います。特に今回深刻な浸水被害を受けた地域は内陸部にあるので、震災時に津波被害を受けたわけではないですし。そういった方たちに「今回はあの時よりマシで良かったね」なんて言えるわけがないです。

 そういったこともあり出来る限り配慮した文章にしたいと思う反面、自分自身が不平不満を感じたことについても書きたいと思うのでどうしても不快になる部分も出てきてしまいます。これはダメだな、配慮が足りないなと思ったらどうぞブラウザバックをお願いします。

 

 

 と、予防線を張りまくったので大丈夫かなと思うので色々書いていきます。なんでこんなに面倒なことをしながらも書きたいのかといえば、やはりこれも震災の経験からです。なんでもかんでも3.11と比較してばかりで申し訳ないと思いつつ、私にとっての比較対象がそこしかないのでどうかご容赦を。あの時は地震津波原発事故というかなり大変な連鎖が発生しました。私の親戚の多くが沿岸部に住んでいて家を失いましたし、中には行方不明になった人もいます。私の家は事故の起きた原発からそんなに離れていない距離にあります。実際に津波直後のあらゆるものがなぎ倒された跡地を目にし、たくさんの噂や情報が行き交う渦中にいました。

 この記憶と経験はしっかりと自分の中に刻み込まれたものの、(当時は学生だったので)学校が再開し、先生たちの間でも「こんな場所に人が今も住んでいるのは異常だ。即刻遠くに避難すべきだ」という意見と「事故発生時の風向きによりこちらはあまり汚染を受けていない。放射線量も下がってきていて生活しても問題ないレベルだ」という意見がぶつかり、余計に我々学生は困惑し何も言えない空気になっていました。震災後に来た先生がそれを察したのか「積極的に此度の事故について議論すべき学生であるあなた方の間にそれについて触れるのがタブーのような空気が流れているのは何故なのか」とおっしゃっていてハッとなりました。ですがやはりあの環境下では何も言えませんでしたし、アウトプットする場も無く、後に行なおうとしてもやはり各方面への配慮をとるのかありのままあったことや思ったことを書くのかという問題もあり、ズルズルとここまで来ました。

 あの時よりはまだそういう問題が小さいのでせっかくの機会ですし、今回は書いてみようと思った次第です。

 

東日本大震災と台風19号(2019年)における断水時の生活の比較

 

 東日本大震災のときも今回の台風でも我が家は断水以外の被害を受けていません。なので置かれた状況は似ているなと当初は思っていたのですが、案外違っている部分が出てきました。広い範囲での長期的な(半月程度、実際に経験したのは5日間)断水と、狭い範囲でのやや長期的な(9日間)断水の両方を同じ場所で経験するということはあまりないと思うので、せっかくなので比較してみます。

 

 東日本大震災では広範囲で断水しました。市内のどこに行っても水道の水が出ませんでした。ほとんどの人が断水を経験するのが初めてで「ガソリンとか停電の心配はしてたけど水のことは考えていなかったなあ」とよく口にしていました。道路もあちこちで通行止めになり物流も麻痺、スーパーからは食料品が消え、給水車もすぐは来られず災害への備えの大切さを思い知らされました。最初の頃は当面乗り切るための水を確保しなければならず、飲み水にも使えるような川の上流の水、井戸水などを汲みに行きました。道路沿いに井戸水の出る家が「水あります」という貼り紙をして、水に困っている方はどうぞと提供してくださっているところもありました。ただし、原発で事故があってからは川や井戸の水を使う事に抵抗が生まれ、貼り紙も消えてしまいましたが。幸いその頃には給水車が来てくれるようになっていたのでどうにかなりました。けれど、貰える水に制限がありますし、そもそも自分の移動手段が自転車しかなかったのであまり量は集められませんでした。原発事故でたくさんの人が避難し、当然学校も仕事もやっていられる状況ではなく、日常が戻ってきたのは4月下旬から5月頭くらいだったと思います。

 

 それに対し今回の断水では、車を15分も走らせれば水のある地域に行けます。主要な道路は被害を受けていませんでした。食べ物に困る事は無く、店からミネラルウォーターが消えたものの3日後には再び店頭に並ぶようになりました。被害を受けていない地域はいつも通りの日常があります。水道から水が出るならミネラルウォーターにこだわる必要もないのでそういう人たちにとってはちょっと道路がいつもより混雑しているという程度だったと思います。私の職場は家から離れた断水していない地域にあり、社内でも8割くらいの人がいつも通りの生活を送れていたので、いつも通りの仕事をしました。

 この「家から少し行けば(あるいは職場に行けば)『いつも通り』がある」という状況には良い面と悪い面がありました。

 

 良い面はほとんどの人が水に困っておらず、かつ東日本大震災で断水を経験して大変さを知っているので何かと助けてくれたことです。「水ならいくらでも持って行っていい、休みの日だって構わない。給水所だと待たされるだろう」と社長が言ってくれました。水を入れるのに都合の良い空き容器をあちこちから探し出してくれる人たちがいました。タンクに水を貯めてくれるだけでなく、私が家から持ち込んだ空き容器にも水を入れてくれ、さらには車にまで乗せてくれる人たちもいました。もう本当に感謝してもしきれないです。職場でかなりの量の水を貰うことで非常に助かりました。これが無ければ仕事終わった後に18時までで終了する給水所に行き貰うしかありませんが、時間的にも一人で運べる量にも限りがあるので相当大変だったと思います。

 水が無くて困るのは何かというと、トイレの排水と入浴です。飲み水は意外となんとかなります。水を大量にもらえたのでその辺りも困らなくなったのですが、風呂については掃除ができないのであまり衛生的とは言えない状況でした。飲まなければ大丈夫かと入ったり、親戚や友人の家にお世話になったりしました。シャワーって素晴らしいものだと思います。特にちょもさんには全面的にお世話になりました。

 

 悪い面は、自宅との環境差に馴染めない部分です。職場では蛇口をひねれば水やお湯が出ますが、家にはいたるところに水の入ったタンクやタル、バケツ、ペットボトルが並んでいます。このギャップが結構ストレスになっていたみたいです。

 震災のときもそうでしたが、体内時計が狂ってしまい実際の時間と体感の時間のズレでなんとなくフワフワした感じを抱えていました。それが正常に戻らないうちに連休が終わるのは少しつらかったです。

 いつも通りの仕事をしながらも頭の片隅ではこの時間に水汲みや洗濯、買い物に行きたいななどと考えていました。水を大量に持って行く我々の姿を見て「どうしてあんなに毎日必要なのかしら。もっと節水できないの?」という何気ないひとことに苛立つくらいには余裕がなかったです。

 もう一つの悪い面は、前述の部分にもかかりますが、少し手を伸ばせば届く距離に『いつも通り』があると、できるだけそれに近しい生活を送りたいという気持ちになってくるところです。これは安定して大量の水を入手可能な見込みがあるというのも関係していますが、震災時には出来る限りの節水に努めました。それに対して今回は入浴しています、料理しています、家庭によっては洗濯もしています。もちろんそれぞれ入手した量に応じて使用しているのでどこかで贅沢をしている分どこかを切り詰めているでしょうが、震災の時と比較すると格段に水を多く消費する生活をしました。なので余計に「なんであんなに使うのか」という発言に痛いところを突かれたようになって反感を抱くのだと思います。

 別の例として、断水で入浴ができない人向けに温泉やシャワーを提供してくれる施設がいくつかありました。そうなると当然人が集中してくるのですが、「あそこはものすごく混んでいる」「あっちは無料なのにこっちは有料だ。こっちも無料にして欲しい」「ここは近所の人たちが来る、顔を合わせたくない」のような声が上がりました。余裕があり選択の余地もあるからこそ出てくる不満なのでしょうけども。

 こういったギスギスした空気と職場の日常に体がついて行けない感覚によりストレスを抱え、なんとなくカリカリしたり物事に集中できなくなったりして自分に余裕がなくなっているんだなと自覚させられました。

 

 東日本大震災は非常に大規模な災害だったので、遠く離れた地域に住んでいても連日テレビで報道されていましたし、中心地は大変そうだと感じたと思います。事実今回の災害とは比べものにならないくらい大変でしたけれど、規模が小さくても小さいなりに別の大変さがありました。この台風19号の被害も大きい部類にカウントされるかもしれませんが、断水や停電、土砂崩れなどそういったものは毎年どこかで発生しています。規模が小さければ小さいほど報道もされず、話題にも上らないのでまるで無かったかのように日々が過ぎていきますがどこかで誰かが被害にあって苦労やストレスを抱えているんだと改めて思いました。